松永太郎/音楽監督
新年一発目のブログが平田大一さんの写真なら、お次はもちろんこの方、
音楽監督の松永太郎さん ですね
写真は、1ヶ月くらい前、松永さんが虫垂炎で入院する前です
もちろん今ではすっかり元気ですよ!
先日も、毎年恒例の冬キャンプを無事に終えて、さらに舞台への鋭気を蓄えたことでしょう!
思えば
「平田大一・松永太郎の世界」と銘打ちながら、いまだ2人のプロフィールも紹介していなかった・・・
既にご存知の方も多いでしょうが、細かいこともすべてお伝えするのがこのブログの心情ですので(かなり主観的ですが)、改めてご紹介させていただきます
松永太郎(「大琉球浪漫」音楽監督)
1974年6月3日鹿児島県生まれ。筑波大学大学院修了。
1999年より沖縄在住。与勝地域の子ども達による、現代版組踊「肝高の阿麻和利」の音楽監督、琉球放送創立50周年記念事業、現代版組踊「大航海レキオス」の音楽監督をつとめると同時に、舞台づくりに関わる子ども達(勝連、浦添、金武、石垣島など)への音楽指導も行なう。
自らのバンド「THE REQUIOS BAND」では「大航海レキオス」劇中の全ての楽曲の演奏、作曲を行なう新進気鋭の音楽家であると同時に、学生時代からの専門分野である野外教育をテーマに子ども達を対象にしたキャンプを毎年夏と冬に主宰する教育家でもある。
・・・とここまでは、大琉球浪漫パンフレットに載っている「プロフィール紹介」なのですが、
少~し平田さんとの馴れ初めをご紹介すると・・・
沖縄に移住してまもなく、「
肝高の阿麻和利」の舞台に出会った松永さんは、
その感動のあまり、平田さんに「何かお手伝いをさせてくださいっ」と申し出たそうです。
それに対して平田さんは、たまたま翌日、名護での講演会があったため
「じゃあ、運転手をしてくれる?」と答えたそうな。
その名護での道々、色々な話をした2人はすっかり意気投合。それから松永さんは、平田さんの舞台「肝高の阿麻和利」を手伝うようになり、それが最初のきっかけになったそうです。
でもそのときはまだ「お手伝い」の範囲内で、「阿麻和利」の舞台の第2幕で、首里の王様の椅子を出す役をやっていたとか。
しかし、子ども達の頑張り、成長していく姿に心打たれた松永さんは、
「これでいいのか松永太郎!」と自分を省み、さらに自分の境地(居場所)を切り開いていったのです。 それが、音楽という場所。今の松永さんの仕事になっています。
そして、最初につくった歌が、「
阿麻和利誕生」
初めて平田さんに聴かせた時、「暗いね~」と言われてしまったそうですが、
現在では、「肝高の阿麻和利」のクライマックスで歌われる、なくてはならない曲のひとつになっています。
平田さんや、勝連の子どもたちに出会ったことで、思いもよらなかった「音楽」の仕事に携わっている松永さん。
また、二人が出会ったからこそ生まれた、「
現代版組踊」という新しい舞台のジャンル。
またその後にRBCの豊島局長に出会って、「
大航海レキオス」の舞台が生まれ・・・そして「
大琉球浪漫」の舞台が生まれようとしています。
人と人との出会いの不思議さ、未知の可能性を感じずにはおれません。
そして、私もまた、平田さん・松永さんたちと出会ったことで、たくさんの素敵な方たちに出会うことができました。 そして、これからもまだまだたくさん出会っていけると思います。
気持を言葉にするのは難しいですが、一言で伝えるなら、この出会いに
感謝 です!
P.S. 「馴れ初め」については、私の聞いた話の記憶を頼りにしています。なので、少々事
実と違っている可能性がありますが、あくまで、私の「主観ブログ」ですので、
あしからずっっm(--)m もし訂正がありましたら宜しくです → 松永さん!
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